死ぬこと。

親指の恋人で主人公たちの死が何を意図して書かれたのか全く理解できず、さらには全くカンケーないけど俺の思考が最近かなり低空飛行しているので(定期的に低くなるのだ)、ちょっと死について思っていることをぶちまけてみようかと。
先に言い訳をしておくと、俺自身決して人の死を軽んじるつもりは毛頭なくて、(近しい人の死は一応人並みには経験してるつもりだし)死をどう捉えるか、どう認識するのか、ということを考えたいだけ。
アオハル時代から根は暗い人間だったので、こんなことばかり考えていた気がする。
死ぬってなんだろう。
逆に生きるって?
死ぬとどうなるのか。
テレビとか映画って死を短絡的に表現しすぎじゃないのか。
日本人は死に畏敬の念を持ちすぎなのでは。
ただの物理的な作用?
魂ってあるんか?
天国は?
地獄は?
輪廻は?
本人にとっての死と、死なれた側の周囲にとっての死って全然意味が違うよなーとか。
生きる目的とか。
まーそんなモヤモヤしたことをしょっちゅう考えていたりするのが俺の本質だったり。


織田信長というおっさんの有名なフレーズ。
「人生50年 下天の内にくらぶれば 夢幻の如くなり」(だっけ? 間違ってるような…)
昔は人生50年だったんだよなぁ。
今は80年だけど。
そのうち100年とかいっちゃうんだろうけど。
仮に50年だと仮定する。
俺は50歳で死ぬ。
そうすると、今31歳だから、何とあと19年しかないわけだ。
19年!
これってよく考えると大変なことだ。
まだやるべきことはいっぱいあるのに、なんて短い。
もしかしたら交通事故とかでもっと早いタイミングになる可能性も十分あるが、寿命で考えるとさすがにあと19年で死ぬことは実感できないわけで。
これが織田信長の時代であれば、あと19年で死ぬ31歳の俺にとって、毎日の過ごし方が違うんじゃないかと思うわけ。


すなわち、タイムリミットが近いから、現実の今の俺よか必死に生きる気がする。
何が言いたいのかというと。
ここからは完全に俺の持論(とは言っても世の中には同じように考える人いっぱいいるんだろうけど。知らんけど。)になるんだけど、死という前提が生の力につながっている。
死が生に活力を与えているわけだ。妙な話だけど。
死があるからこそ生きられる。
仮に死という概念が存在しない生を想像すると、要はフィクションであるような、永遠の命があったりなんかして、軽い病気や怪我なんぞはあっても致命的なものにはなったりせず、未来永劫健康を保障されてしまった場合を想像すると、もう毎日が怠惰の極致になる気がする。
あるいは発狂するんじゃねーか?
生まれたと同時に死に向かい始めるわけで、生きているうちは死がゴール。
極端なことを言ってしまうと、死がないと生がない。
もし死=無という図式が成り立つならば、生には死が必要なのに、死には生は必要ないわけで。
この死の絶対性ってのは俺の中ではものすごく絶大な認識としてどーんと構えてしまっている。
しかも怖いし。死ぬのって怖いよね?
死ぬ瞬間ってのは、肉体的な痛みは別にして、意識はどんななんだろう。
テレビが切れるように真っ暗になるのか。
しかし「暗い」という認識すらできなくなるので、そういうもんじゃない。
正に意識は無になるんだろうな。
布団に入っていつのまにか寝てしまっているような感覚なのか?
体験したことないし、体験した人もいないし(臨死体験した人の話とかテレビでよく見るけど全然信じらんない。死んでも結果として戻ってこれたんだからそれはもはや本当の意味の死を体験してるわけじゃないじゃん)。
ちゃんと考えるとすげー怖い。


勝手にイメージすると、生きる(すなわち死に向かうってこと)ってのは、時間という川の流れの中を後ろ向きに歩く感じ。
その先には、死という崖が必ず待ち構えていて、遅かれ早かれいつか必ず落下する。
後ろ向きに歩いているので、今まで歩いてきた道(過去)しか見えない。
その先に何が待ってるのか分からない流れの中を、おそるおそる進んでいくしかない。
(いや、人によっては別におそるおそるじゃないのか。)
しかしいつか死という崖から落ちてしまうからこそ、一歩をしっかり歩いて、しっかり歩けた自分をほめてあげるべきなんじゃねーのか、と。


ああ結局何が言いたいのか分かんなくなってきたけど、俺的にはちょっとすっきりしてきた。(いつもこのパターンですみません)
けどなんつーか、親指の恋人を読んで改めて思ったけど、人並みな表現でちょっと許せない感じだが、自殺はやっぱ悲しいな、と。
世の中にはそういう選択をする人はいっぱいいるけど、周囲への影響が大きすぎるわ。
もし自分が死ぬことによって周りがまったくその事実を気にも留めないことが確実であればまーそんな選択もあるんだろうけど、やっぱり、いろいろあるじゃん。
それでも死を選ばざるを得ない状況ってのは、毎日のほほんと過ごしている俺にとっては想像を絶するわけで。
ここでアホみたいに「自殺は良くない」「生きていけばいいことある」「悩みがあったら相談にのるよ」とか言っても、きっと死を考える本人には何も届かないんだろうな。
けどそんなことしか俺は言えないし。
死の認識について費やしている時間が人よりほんの少しだけ多いかもだけど、それでも何もできないわけで。
それが悲しい。



と、ここまで書いたところで、突然この間見た映画「おくりびと」を思い出した。
どんな経緯であれ、ああやって送ってもらえることは悪くないのかもしれない。
死んだ本人も、残された人たちにとっても。


まあ、だからなんだと聞かれれば、なんでもないんだけど。
結局俺の中での死の絶対性がより強固なものになってしまっただけなのでした。ちゃんちゃん。あーいっぱい書いて疲れた。
もう寝ようぐー。